ひよっこ散歩帖

ライトな書評・映画評・ドラマ評から、ちょっぴり腰を据えて考えたことまで。自分の文章で、誰かの世界の見え方をちょっとでも変えられたら幸せです。

苫野一徳『子どもの頃から哲学者』書評

学生の頃哲学を専攻していたにも関わらず、体系的な哲学の知識が身についていないなぁと日々感じていて、まず手始めにと手に取ってみた一冊。

 

結果、かなりの良書だった。

教育哲学者・苫野一徳が自らの半生を振り返りながら、主要な哲学者(ヘーゲルニーチェ、カント、デカルトフッサールプラトンバタイユ、ルソー、キルケゴール)の思想のさわりを紹介する形式で綴られている。こうしたビッグネームたちが主に考えていた問題がどのようなもので、それぞれがどのような関係にあるのかがよくわかる。

そしてさらには、哲学とはそもそもどのようなもので、どのように社会に役立っているのかが肌感レベルでよくわかる。なぜならすべて苫野氏の実体験エピソードに基づいて綴られているからだ。

 

哲学の勉強の入門書としても優秀だし、なにより哲学を学ぶ意義がよくわかる一冊。専門的な入門書を読む前に読んでおいて良かったと思う。

落合陽一『日本再興戦略』書評

最近話題のこの本。

 

読んだのが割と5日前とかで、やや印象薄くなってるのですが簡潔に。

 

面白い論点がこれでもかというくらい詰め込まれていた。士農工商の話とか、東洋思想の話とか興味深かった。

 

ただ、詰め込み過ぎているがゆえに一つ一つの論点の説明が不十分に感じた。

ビジネス書という性質上仕方ないのかもしれないが、もっと腰のすわった論証が読みたかった。

千葉雅也『メイキング・オブ・勉強の哲学』書評

昨年4月に刊行された名著『勉強の哲学』の副読本が出たので、読んでみた。

そもそも『勉強の哲学』は昨年自分が読んだ本の中で最も印象に残った本で、3回くらい再読したくらいなので、その副読本が出たということで迷わず購入。

 

 

サクッと通読でき、とても楽しかった。

この本を読むことで、『勉強の哲学』の内容の復習になり、理解が深まった。

簡潔に要点がまとめられているので、『勉強の哲学』を読んだ直後に読めばかなり本の内容が定着するだろう。

執筆の背景なども詳しく説明されているので、『勉強の哲学』の内容がよりビビッドに感じられるはずだ。

著者の千葉雅也氏が実際にどのようにアウトライナーや紙のノートを使って『勉強の哲学』を作っていったのかがわかるので、どのように「勉強」を実践すればいいのかのイメージもわくと思う。

 

 

さらに、「有限性」という概念への興味も喚起された。

結局、アウトライナーも紙のノートも「有限性」を獲得するために使うツールであるということが理解できたし、仕事でタスクがたまるとどこかにタスクを書き出したくなるのも「有限性」への欲望ゆえのことなのだと納得した。

また、少し話はそれるが、紙の本が「有限性」が極端に強い単機能デバイスであるという点も興味深かった。

自分の紙の本へのフェティシズムは、強い「有限性」ゆえの安心感=「社会」から距離をとれる感覚なのかな、とも思った。

接続過多な時代だからこそ「有限性」が大切だという主張からは、デジタルデトックスという概念も想起した。

この「有限性」というキーワードは、現代社会を生き抜いていくうえでひとつの重要な要素なのかもしれない。

 

 

 

 

宮台真司・二村ヒトシ『どうすれば愛しあえるの』書評

 

最近話題のこの本を読んでみた。

 

元々書店などで目に入って何となく気になってはいたのだが、最近宮台真司の『終わりなき日常を生きろ』を読んだ際に、「終わりなき日常」への処方箋として「性愛」が引き合いに出されていたことに興味を持ち、似たようなテーマを扱っている宮台の著作に触れてみたいという目的で読んだ。

hiyokko-sanpocho.hatenablog.jp

 

 

さて、本の中身だが、AV監督の二村ヒトシと宮台が性愛について語り合った対談が収録されている。

対談ゆえに情報がちぐはぐで読みにくいところも多分にはあったのだが、なかなか楽しい本だった。

 

まず、宮台にとって「性愛」というものが30年以上前からずっと一大研究テーマであり続けた、ということがよくわかった。「性愛」に関して、知識量もそうだし、蓄積された思考の量も桁違いだと感じた。

 

論じられている内容だが、ざっくり要約すると以下のようになる。

  • 性愛の享楽というものは、本来「社会」の外部に存在していた。
  • しかしここ20年ほどでその図式が根本的に崩れてきてしまい、性的退却が進行している。
  • このままでは人間は代替可能な自動機械になってしまうので、社会の外側での性愛というものを取り戻すべき
  • そのためには、近年蔓延る「フェチ系」のセックスではなく、「変奏」を感じる「ダイヴ系」のセックスが求められる

 

30年前まで当たり前のように存在していた「社会の外部にある性愛」は非常に興味深かったし、そうした性愛の変化を社会の変化と見事に結び付けて論じていたのは流石としか言いようがなかった。

宮台の性愛に関するまとまった論考も是非読んでみたいと思った。

とりあえず、古典と言われる『制服少女たちの選択』は読んでおきたい。

 

ただ、これはあくまでも肌感だが、「昔イケイケだったおっさんの『近頃の若い者は~』トークを、社会学や思想の言葉で虚飾しただけなんじゃないの?」感がどうしても拭い切れなかった。

自分の方にもバイアスはかかっているのかもしれないが、そこだけ残念だった。

 

 

 

柴那典『ヒットの崩壊』書評

宇野常寛氏との対談、『渋谷音楽図鑑』などで前々から気になってはいた柴氏の代表作。

 

・90年代的「ヒット」がどんなものだったのか

・今それがどのように崩れていっているのか

・そしてその次に来るものは何か

ということが、小室哲哉水野良樹をはじめとした音楽業界の著名人へのインタビュー、そして統計的データをもとに考察されている。

 

大きな論点としては二点。

 

まずは、音楽を楽しむ形態の話。

「CD」から「フェス」へ=「情報」から「体験」へ=「他人の物語」から「自分の物語」へ、という大きな変化が、豊富な例を用いて考察されている。

 

そして、音楽の中身の話。

洋楽コンプレックスから、JPOPを基礎にしたJPOP・ミクスチャー的なポップへ。

こちらも興味深かった。

 

音楽業界に関わる者だけではなく、何かを企画・生産して世の中を変えようと思っている人は必読の書だと思う。

宇野常寛氏もよく言っているが、この「情報から体験へ」という流れは、音楽だけでなくあらゆる領域で起きている変化である。

その変化をきちんと捉える第一歩として、音楽領域で起きていることが精緻に考察されている良書である。

アジズ・アンサリ『マスター・オブ・ゼロ』ドラマ評

今話題のこの作品、一気見しました。

 

 

一話あたり30分以下とライトに見ることができる。毎日仕事終わりの癒しだった。

 

 

この作品は、インド系アメリカ人が主役ということもあり多文化主義的文脈から語られることが多いような気がするが、本質はそこではないと思う。

 タイトルにもある通り、何者でもない「マスターオブゼロ」がいかに生き抜いていくかというテーマが主題だろう。

 

 仕事もプライベートもいまいちパッとしないままフラフラと生きていたら30代を迎えてしまった売れない俳優・デフが、仕事・結婚などのライフイベントに向き合う。

「もっといいものがあるんじゃないか」「自分が100%良いと思えないものを選んでしまっていいのだろうか」と、何かを選び取る決断をできないまま、大事なものを失っていく。Google検索を駆使して選択肢を吟味している様は非常にリアルだ。

そして最後には、はじめから燃え盛る炎を求めるのではなく、どんな炎もはじめはかがり火だという前提を受け入れたうえで、火持ちの良いかがり火を育てていくことの大切さに気付く。

 

そこでこの物語は終わる。

ではどうやってそのかがり火を育てていくのか、という点はシーズン2に期待したい。

 

全体的に、「マスターオブゼロ」がいかにして生きていくかというテーマは良かったが、もっと踏み込んで考えてほしかったなとは思った。

シーズン2に期待。

宮台真司『終わりなき日常を生きろーオウム完全克服マニュアル』書評

数冊分とっていた読書メモだが、一旦つけるのをやめることにした。

 

理由は、メモを取ったことに満足してその本をメタ的に見て思考するということができなくなるのと、メモを取っても取らなくても頭に残る度合いが特に変わらない気がしたからである。

それなら、メモを取らずに読んだ方が読むスピードも上がるしストレスも減るから良いだろうという判断である。(メモを取りながら読書するのは、マルチタスクになるので非常にめんどくさい。)

 

 

さて、前置きはこのくらいにして、書評を。

本書は、地下鉄サリン事件の直後に社会学者の宮台真司によって書かれた論考である。

宇野常寛がその著書で繰り返し引用していることや、「ひよっこ」時代の生き方を考えるという当ブログのコンセプトから考えて、いずれ読まなければいけないと思っていたものをようやく読んだ。

 

本書は、「大きな物語」が崩壊した197,80年以降、「終わりなき日常」を生きるために人々がどうあがいてきたか(時には新興宗教サブカルチャーによすがを求め、時にはブルセラ少女的に)を描写し、そこからオウム問題、ひいては当時の社会が抱えていた根本的問題の本質を解き明かそうとしたものである。

宮台は基本的に、「ブルセラ少女」的に「まったり」生きることを処方箋だとみなしている。

 

この本を読むとまず、「大きな物語なき世界をどう生きるか」ということが20年以上前から切実な問題だったことがよくわかる。

サブカルチャーにせよ新興宗教にせよ、現代からすると歴史の教科書の中の出来事のように感じてしまうが、当時を生きる人々はものすごくリアリティのある問題だったということが生々しく伝わってきた。

 宇野が『母性のディストピア』で描いていた「サブカルチャーの時代」の風景が、よりビビットなイメージで浮かんでくるようになった。

 

加えて、社会学宮台真司のカッコよさみたいなものもわかった気がした。

複雑性への認識コストに耐えきれず世界を単純化することへの警鐘を鳴らし、オウムからブルセラ少女まで縦横無尽に切っていく宮台は、確かにカッコいい。

多くの評論家・思想家・学者に影響を与えたのも納得である。

宮台の著作はなんだかんだほとんど読んだことがなかったのだが、これを機にもっと読んでみようと思った。

 

また、恋愛をサブカルチャーや宗教に先立つ、「終わりなき日常」への第一の処方箋とみなしているのは興味深かった。

最近の宮台が性愛についての本を出しているのはこの認識が基底にあるのだろうか。

以下の最新作も読んでみたいと思った。

 


ただ、宮台が処方策として提示する、ブルセラ少女的「まったり革命」の詳細の説明は不足していると感じた。

もちろん、あとがきで書いてあった通り、麻原彰晃逮捕後の緊急声明文としての性質を持つ論考だったがゆえに仕方ないのかもしれないが。

ここについては、他の著作を読んで理解を深めていきたい。

 


あと20年前の本なので当たり前といえば当たり前だが、サブカルチャー新興宗教をテーマにしているあたりが少し古いなと感じた。

なぜなら、「内面ではなく世界そのものを変える」ことを是とする、カリフォルニアンイデオロギーへの言及がないからである。当時はその萌芽すらなかったので当然といえば当然なのだが。
宮台の論考を引き受けつつも、カリフォルニアンイデオロギー の時代においての「まったり革命」を追求していかなければいけないだろう。