ひよっこ散歩帖

ライトな書評・映画評・ドラマ評から、ちょっぴり腰を据えて考えたことまで。自分の文章で、誰かの世界の見え方をちょっとでも変えられたら幸せです。

柴那典『ヒットの崩壊』書評

宇野常寛氏との対談、『渋谷音楽図鑑』などで前々から気になってはいた柴氏の代表作。

 

・90年代的「ヒット」がどんなものだったのか

・今それがどのように崩れていっているのか

・そしてその次に来るものは何か

ということが、小室哲哉水野良樹をはじめとした音楽業界の著名人へのインタビュー、そして統計的データをもとに考察されている。

 

大きな論点としては二点。

 

まずは、音楽を楽しむ形態の話。

「CD」から「フェス」へ=「情報」から「体験」へ=「他人の物語」から「自分の物語」へ、という大きな変化が、豊富な例を用いて考察されている。

 

そして、音楽の中身の話。

洋楽コンプレックスから、JPOPを基礎にしたJPOP・ミクスチャー的なポップへ。

こちらも興味深かった。

 

音楽業界に関わる者だけではなく、何かを企画・生産して世の中を変えようと思っている人は必読の書だと思う。

宇野常寛氏もよく言っているが、この「情報から体験へ」という流れは、音楽だけでなくあらゆる領域で起きている変化である。

その変化をきちんと捉える第一歩として、音楽領域で起きていることが精緻に考察されている良書である。

アジズ・アンサリ『マスター・オブ・ゼロ』ドラマ評

今話題のこの作品、一気見しました。

 

 

一話あたり30分以下とライトに見ることができる。毎日仕事終わりの癒しだった。

 

 

この作品は、インド系アメリカ人が主役ということもあり多文化主義的文脈から語られることが多いような気がするが、本質はそこではないと思う。

 タイトルにもある通り、何者でもない「マスターオブゼロ」がいかに生き抜いていくかというテーマが主題だろう。

 

 仕事もプライベートもいまいちパッとしないままフラフラと生きていたら30代を迎えてしまった売れない俳優・デフが、仕事・結婚などのライフイベントに向き合う。

「もっといいものがあるんじゃないか」「自分が100%良いと思えないものを選んでしまっていいのだろうか」と、何かを選び取る決断をできないまま、大事なものを失っていく。Google検索を駆使して選択肢を吟味している様は非常にリアルだ。

そして最後には、はじめから燃え盛る炎を求めるのではなく、どんな炎もはじめはかがり火だという前提を受け入れたうえで、火持ちの良いかがり火を育てていくことの大切さに気付く。

 

そこでこの物語は終わる。

ではどうやってそのかがり火を育てていくのか、という点はシーズン2に期待したい。

 

全体的に、「マスターオブゼロ」がいかにして生きていくかというテーマは良かったが、もっと踏み込んで考えてほしかったなとは思った。

シーズン2に期待。

宮台真司『終わりなき日常を生きろーオウム完全克服マニュアル』書評

数冊分とっていた読書メモだが、一旦つけるのをやめることにした。

 

理由は、メモを取ったことに満足してその本をメタ的に見て思考するということができなくなるのと、メモを取っても取らなくても頭に残る度合いが特に変わらない気がしたからである。

それなら、メモを取らずに読んだ方が読むスピードも上がるしストレスも減るから良いだろうという判断である。(メモを取りながら読書するのは、マルチタスクになるので非常にめんどくさい。)

 

 

さて、前置きはこのくらいにして、書評を。

本書は、地下鉄サリン事件の直後に社会学者の宮台真司によって書かれた論考である。

宇野常寛がその著書で繰り返し引用していることや、「ひよっこ」時代の生き方を考えるという当ブログのコンセプトから考えて、いずれ読まなければいけないと思っていたものをようやく読んだ。

 

本書は、「大きな物語」が崩壊した197,80年以降、「終わりなき日常」を生きるために人々がどうあがいてきたか(時には新興宗教サブカルチャーによすがを求め、時にはブルセラ少女的に)を描写し、そこからオウム問題、ひいては当時の社会が抱えていた根本的問題の本質を解き明かそうとしたものである。

宮台は基本的に、「ブルセラ少女」的に「まったり」生きることを処方箋だとみなしている。

 

この本を読むとまず、「大きな物語なき世界をどう生きるか」ということが20年以上前から切実な問題だったことがよくわかる。

サブカルチャーにせよ新興宗教にせよ、現代からすると歴史の教科書の中の出来事のように感じてしまうが、当時を生きる人々はものすごくリアリティのある問題だったということが生々しく伝わってきた。

 宇野が『母性のディストピア』で描いていた「サブカルチャーの時代」の風景が、よりビビットなイメージで浮かんでくるようになった。

 

加えて、社会学宮台真司のカッコよさみたいなものもわかった気がした。

複雑性への認識コストに耐えきれず世界を単純化することへの警鐘を鳴らし、オウムからブルセラ少女まで縦横無尽に切っていく宮台は、確かにカッコいい。

多くの評論家・思想家・学者に影響を与えたのも納得である。

宮台の著作はなんだかんだほとんど読んだことがなかったのだが、これを機にもっと読んでみようと思った。

 

また、恋愛をサブカルチャーや宗教に先立つ、「終わりなき日常」への第一の処方箋とみなしているのは興味深かった。

最近の宮台が性愛についての本を出しているのはこの認識が基底にあるのだろうか。

以下の最新作も読んでみたいと思った。

 


ただ、宮台が処方策として提示する、ブルセラ少女的「まったり革命」の詳細の説明は不足していると感じた。

もちろん、あとがきで書いてあった通り、麻原彰晃逮捕後の緊急声明文としての性質を持つ論考だったがゆえに仕方ないのかもしれないが。

ここについては、他の著作を読んで理解を深めていきたい。

 


あと20年前の本なので当たり前といえば当たり前だが、サブカルチャー新興宗教をテーマにしているあたりが少し古いなと感じた。

なぜなら、「内面ではなく世界そのものを変える」ことを是とする、カリフォルニアンイデオロギーへの言及がないからである。当時はその萌芽すらなかったので当然といえば当然なのだが。
宮台の論考を引き受けつつも、カリフォルニアンイデオロギー の時代においての「まったり革命」を追求していかなければいけないだろう。

 

 

ピエール・バイヤール『読んでいない本について堂々と語る方法』書評

前から気になっていたが、初めて読んだ。

 

タイトルのキャッチーさとは裏腹に、かなりしっかりとしたテクスト論で、後半とかは消化不良感も否めない。

 

ただ、本を読むのではなく本を教養体系に位置付けること、本の内容は決して一意的ではないことは身にしみて理解した。

 

もっとたくさん本を読んでいこう、そんな気にさせられる本。

 

 

 

ー読書メモー

<序>
「読まずにコメントする」ということは、以下3つの規範の存在が原因で難しい
①読書義務
②通読義務
③「語るためには読んでなければいけない」義務

この規範の体系は、結果的に人々のうちに読書に関する偽善的態度を生み出した

また、「読んだ」と「読んでいない」の違いも実はかなり曖昧

<1章>
未読にも色々ある

全然読んだことのない本→全体の見晴らし=書物と書物の関係性さえ把握していれば語れるし、その見晴らし=共有図書館の把握こそが教養である
流し読みしたことがある本→上記の全体の見晴らしを掴むという姿勢を、一冊の本の中でとればよい
人から聞いたことがある本→これですら、共有図書館を把握しておけば詳細に語れる
読んだが忘れてしまった本→これも同様

<2章>
ある本を全く読んだことがなくても、皆の<内なる図書館>が異なるのでその本について大勢の前で語ることは可能
<内なる書物>に基づき、自分の経験と思想に引きつけて語るという手法もある
個々人の<内なる書物>はすべて異なり伝達不可能なので、作家の前で話すときは気を使う必要がある
また人はときに愛する人の前で、その人と<内なる書物>を一致させようとするが、そんなことはファンタジーの中でしか実現できない。

<3章>
心構え
・気後れしない
・自分の考えを押し付ける
・内容をでっち上げることすら可能
・自分自身について語ることでもある

<結び>
結局、自分で創造するということが大事

『舞妓Haaaan!!!』映画評

この3連休は、わりと予定が詰まっていて、インプットの時間もアウトプットの時間もあまりとれませんでした...

明日からエンジン全開でいきます。

 

 

さて、そんな中Huluで1本映画を観たので、一応映画評を。

舞妓Haaaan!!! - Wikipedia

2007年公開のこの映画。

クドカン執筆、阿部サダヲ主演、テーマも舞妓さんという興味深い対象ということで、期待に胸を膨らませて鑑賞。

 

 

結果、まぁ微妙な映画でしたね。。。笑

前半は、クドカン&阿部サダヲの小気味のいい台詞まわしと豪華なミュージカルシーンが良い感じに化学反応を起こしていて面白かったのですが、後半グダりましたね。

孤児問題とか結構重めのテーマも絡み合ってくるのですが、その重めのテーマがコミカルな台詞回しと全く噛み合っていませんでした。

また急にサラリーマンからプロ野球選手になったりと結構現実味の薄い設定も使用していたのですが、それにもあまり引き込まれませんでした。ただただ「現実味薄いなぁ」という感想を抱いただけで、現実離れしているからこその面白さとか批判力とかが感じられませんでした。

 

まぁただ、舞妓なり何なり自分の偏愛を追求していくことで人生を豊かにできるのだなという、何の変哲もないことを再確認することはできました。

 

今日はこんなところでー!

 

エチエンヌ・コマール『永遠のジャンゴ』映画評

正月休みも最終日。

今年初の映画館での映画鑑賞をしてきました。

 

以前から気になっていた『永遠のジャンゴ』を鑑賞。

なおネタバレもあるので、今後観に行く予定がある方は自己責任でお願いします。

映画『永遠のジャンゴ』公式サイト 11月25日(土)ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館ほか全国順次公開

 

個人的にジャンゴ・ラインハルトの音源をたまに聴く関係で、いつか観に行きたいと思ってました。

 

 

感想は、まぁ無難に良い映画でした。笑

ジャンゴの人となりというよりは、ジプシーに焦点が当てられた映画だった気がします。

実際最後も、スウィング・ジャズではなく、ジプシーへのレクイエムの演奏シーンで終わりますし。ちなみにジャンゴは指揮者。

 

 

時折現れるスウィング・ジャズの演奏シーンも良かった。

当時においては、スウィング・ジャズは今で言うクラブ・ミュージックやヒップホップのような「チャラい」音楽だったのだと再認識させられました。

この映画を現代風にすると、北朝鮮国籍の世界的DJの物語、みたいになるのでしょうか。

みんなが我を忘れて踊り狂うシーンでは、「やっぱり音楽っていいなー」と思いました。

 

 

あと全然関係ないのですが、第二次世界大戦まわりの知識がかなり抜け落ちていることにも気づかされました。笑

ジプシーの政治的立ち位置とかパッと出てきませんでした。

今年はどこかで世界史や日本史の知識をインプットし直す機会も設けたいです。

今改めて触れることで、確実に高校生の頃とは違う気づきや学びも得られると思いますし。

 

 

今日はこんなところで。

庵野秀明『シン・ゴジラ』映画評

今年一発目の映画として、シン・ゴジラを観ました。

公開時に劇場では観たのですが、もうある程度内容は忘れていたので、それなりに新鮮な気持ちで楽しめました。 

 

なぜこのタイミングでシン・ゴジラを観返したのか

このタイミングで見返した理由は二つ。

 

一つは、宇野常寛著の『母性のディストピア』でかなり特別な位置を占める作品としてこのシン・ゴジラが語られていたから。

この本は昨年読んだ本の中でも最も影響力を受けた本のひとつなので、是非読まれることをお薦めします。

https://www.amazon.co.jp/%E6%AF%8D%E6%80%A7%E3%81%AE%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%94%E3%82%A2-%E5%AE%87%E9%87%8E-%E5%B8%B8%E5%AF%9B/dp/4087711196

 

そしてもう一つは、昨夜実家でたまたま『都庁爆破!』というあり得ないほどC級のドラマを観たから。

キャストやテーマがシン・ゴジラに近く、少しだけ期待して観たのですが、まーーー酷いドラマでした。Twitterでもトレンド入りしていましたね。笑

コメディとして観る分には別の意味で面白いですが、ポリティカル・フィクションとしては目も当てられないレベル。

これを観てしまった反動で、ポリティカル・フィクションとしてかなり完成度が高かったシン・ゴジラを観返したい衝動に駆られたのです。

www.tbs.co.jp

 

 

観返した感想

さて、肝心の観た感想ですが、「素晴らしい」の一言に尽きました。

『母性のディストピア』の焼き直しにもなってしまいますが、観て思ったことは以下の通りです。

  • 「政治と文学」の「文学」を徹底的に排除することで、ポリティカル・フィクションとして未曾有の完成度を実現している点。官僚の意思決定プロセスが非常に精緻に描かれています。
  • 「虚構にしか描けない現実がある」という、「ゴジラの命題」(『母性のディストピア』参照)に真正面から取り組んでいる点。第一形態のゴジラが上陸して街を駆け巡るシーンなどは、何度観ても鳥肌モノです。
  • 高橋一生をはじめとした特別チームの面々がやはりカッコいい。オタク的感性と知性は非常に相関性があります。『母性のディストピア』でも、宇野常寛氏はこの高橋一生的なキャラクターに希望を見出しています。

 

『母性のディストピア』でも触れられていますが、現代日本も3.11の際にこのシンゴジラで描かれているように「スクラップ&ビルド」されていなければいけなかった、その思いを強めました。

新年一作目にシン・ゴジラを選んで正解でした。

また、シン・ゴジラ同様ポリティカル・フィクションとしての完成度が高いと言われている初代ゴジラも、なんだかんだ観たことないので観てみたいです。