ひよっこ散歩帖

ライトな書評・映画評・ドラマ評から、ちょっぴり腰を据えて考えたことまで。自分の文章で、誰かの世界の見え方をちょっとでも変えられたら幸せです。

宇野常寛『母性のディストピア』書評

今日は書評です。

ここ1,2週間くらいちまちまと読んでいた宇野常寛著の『母性のディストピア』をようやく読了。

ざっくり言うと、戦後の日本社会を覆いつくす性質(「母性のディストピア」)について、サブカルチャー(とりわけ宮崎駿富野由悠季押井守という3人の監督を中心に)を分析しながら検討した本。

宇野にとっては、『ゼロ年代の想像力』『リトル・ピープルの時代』に続く3つ目の本格評論だ。

6年ほど温めていたこともあり、本全体に宇野の熱を感じた。

 

ただ内容の方は、正直まだ消化しきれていないです。笑

自分がサブカルチャーに疎いため作品批評がやや腹落ちしきらないというのもあるが、作品全体を通した最も重要なコンセプトである「父」「母」が具体的にどういったものを指すのか、納得しきれなかった。

もちろん、本書では繰り返し「父」「母」についての説明はなされるのだが、宇野が具体的に何をイメージしつつ書いているのか、それがとらえきれなかった。

後半に、母=「半径10Km以内のことだけに執着して生きること」といった説明があったが、それを見てからはイメージが少し鮮明になった気はする。

 

「父」「母」の議論と並行して、虚構の時代=映像の世紀としての近代社会論も走っており、かなり重厚な一作となっている。

読んでいてひしひしと、「この本は理解しなきゃ駄目だ」というのも感じた。

特に私は宇野の社会観・評論にはかなり多くのところ共感しているので、そのすべてがつまっているといえる本書は、必ず再読し、血肉化しなければならない。

 

一旦たまっている他の本を消化して、年内には再読したいところ。

 

P.S.最近、「男は遊んでなんぼだ」「遊ぶべきだ」というイデオロギーについて考えている。そのうちこれについて記事を書きたい。