ひよっこ散歩帖

ライトな書評・映画評・ドラマ評から、ちょっぴり腰を据えて考えたことまで。自分の文章で、誰かの世界の見え方をちょっとでも変えられたら幸せです。

泉谷閑示『仕事なんて生きがいにするな』書評

書店でふと目にとまって衝動買いした一冊。たまにはこうした読書も悪くない。

 

まず前提として、構成が粗く、論点を頭の中で整理しにくい。。。

同じようなことを何度も繰り返しているので、構造がとらえづらかった。

著者の本業は医師であり文筆家ではないから仕方ないのかもしれないが、担当編集にはもう少しきれいにまとめてほしかった。

 

さて内容だが、当ブログでも何回も繰り返している「日常に深く潜れ」ということを主張している本。

潜る、ではなく、「遊び」という表現が使われている。

結論自体は真新しいことではないが、食事を例に出すなどできるだけ「遊び」のイメージをビビットにしようとしている点、アーレントをはじめとする思想家・芸術家の思想をふんだんに使って説得力を持たせようとしている点で、好印象な本であった。

本著のアーレントなどの使い方自体はあまりうまいと思わなかったが、アーレントや『それから』を「生きる意味」みたいな視点から読めるのかという視座を与えてくれた点で意義深かった。

 

肝心の「遊び」についてだが、全くその通りだと思ったし、宇野さんも國分さんもこの人も誰もが皆結局同じことを言っているのだなと思った。

バックグラウンドはそれぞれ違うが、結局は「日常をクリエイティブに生きろ」っていう趣旨のことを言っていると思う。

その方針自体に全く異論はない。

とすると、いかにそれに具体的かつビビットなイメージを持てるかが重要なのではないかと思った。

そういう意味では、こうした理論書だけでなく、ドラマや映画などの虚構や、個々の人間が具体的にどうやってそれを実現しているのかをインプットすることが大事なのかなと思った。

そしてインプットしつつ、日々の様々な事象でアウトプットしていくことも当然大事である。

2018年はそんな過ごし方をしたいなと思った。

 

<読書メモ>

物質的に豊かな世の中になり、人々の悩みは「ハングリー・モチベーション」から「実存的な問い」へ
→「高等遊民」が直面していたのも「実存的悩み」
→そんな「人間ならではのモチベーションが求められる時代」に、私たちはいったいどのような価値観を持って、何を指針に生きていくことができるのか
=いかにして「第二の誕生」を獲得するか


そもそも人間の自我は発育上「嫌い」からはじまる。「好き」はその後。
→親から「嫌い」を抑圧される
→主体性を放棄するしかない
→わかりやすいことの受動的消費へ
→20世紀後半の「現代○○」ブームの反動でもある

高等遊民を例に「働く」ことについて考える
→『それから』の代助は、食うための労働ではなく労働のための労働を志向
→「観照的生活」を最重視したアーレントも同様

「本当の自分」は、内部に、かつ職業という狭い枠にとらわれず考えなければいけない
それは「愛」、すなわち他の人や世界の様々な物事や人生そのものに対して対象に潜む本質を深く知ろうとしたり味わおうとしたりすること、である=「小児」的な生き方
その「愛」の経験こそが、生きる意味(≠意義)である

日常を「遊び」にする
壮大な人生の暇潰しとして「遊ぶ」