ひよっこ散歩帖

ライトな書評・映画評・ドラマ評から、ちょっぴり腰を据えて考えたことまで。自分の文章で、誰かの世界の見え方をちょっとでも変えられたら幸せです。

宮台真司『終わりなき日常を生きろーオウム完全克服マニュアル』書評

数冊分とっていた読書メモだが、一旦つけるのをやめることにした。

 

理由は、メモを取ったことに満足してその本をメタ的に見て思考するということができなくなるのと、メモを取っても取らなくても頭に残る度合いが特に変わらない気がしたからである。

それなら、メモを取らずに読んだ方が読むスピードも上がるしストレスも減るから良いだろうという判断である。(メモを取りながら読書するのは、マルチタスクになるので非常にめんどくさい。)

 

 

さて、前置きはこのくらいにして、書評を。

本書は、地下鉄サリン事件の直後に社会学者の宮台真司によって書かれた論考である。

宇野常寛がその著書で繰り返し引用していることや、「ひよっこ」時代の生き方を考えるという当ブログのコンセプトから考えて、いずれ読まなければいけないと思っていたものをようやく読んだ。

 

本書は、「大きな物語」が崩壊した197,80年以降、「終わりなき日常」を生きるために人々がどうあがいてきたか(時には新興宗教サブカルチャーによすがを求め、時にはブルセラ少女的に)を描写し、そこからオウム問題、ひいては当時の社会が抱えていた根本的問題の本質を解き明かそうとしたものである。

宮台は基本的に、「ブルセラ少女」的に「まったり」生きることを処方箋だとみなしている。

 

この本を読むとまず、「大きな物語なき世界をどう生きるか」ということが20年以上前から切実な問題だったことがよくわかる。

サブカルチャーにせよ新興宗教にせよ、現代からすると歴史の教科書の中の出来事のように感じてしまうが、当時を生きる人々はものすごくリアリティのある問題だったということが生々しく伝わってきた。

 宇野が『母性のディストピア』で描いていた「サブカルチャーの時代」の風景が、よりビビットなイメージで浮かんでくるようになった。

 

加えて、社会学宮台真司のカッコよさみたいなものもわかった気がした。

複雑性への認識コストに耐えきれず世界を単純化することへの警鐘を鳴らし、オウムからブルセラ少女まで縦横無尽に切っていく宮台は、確かにカッコいい。

多くの評論家・思想家・学者に影響を与えたのも納得である。

宮台の著作はなんだかんだほとんど読んだことがなかったのだが、これを機にもっと読んでみようと思った。

 

また、恋愛をサブカルチャーや宗教に先立つ、「終わりなき日常」への第一の処方箋とみなしているのは興味深かった。

最近の宮台が性愛についての本を出しているのはこの認識が基底にあるのだろうか。

以下の最新作も読んでみたいと思った。

 


ただ、宮台が処方策として提示する、ブルセラ少女的「まったり革命」の詳細の説明は不足していると感じた。

もちろん、あとがきで書いてあった通り、麻原彰晃逮捕後の緊急声明文としての性質を持つ論考だったがゆえに仕方ないのかもしれないが。

ここについては、他の著作を読んで理解を深めていきたい。

 


あと20年前の本なので当たり前といえば当たり前だが、サブカルチャー新興宗教をテーマにしているあたりが少し古いなと感じた。

なぜなら、「内面ではなく世界そのものを変える」ことを是とする、カリフォルニアンイデオロギーへの言及がないからである。当時はその萌芽すらなかったので当然といえば当然なのだが。
宮台の論考を引き受けつつも、カリフォルニアンイデオロギー の時代においての「まったり革命」を追求していかなければいけないだろう。